札幌 マンション RMT

画用紙の向こう


     ◆

 大きくため息をついて、ぼくはゴロンと芝生に横になった。
 ひざの上に乗っかっていた画板がすべり落ちて、その上にあった鉛筆が伸びた草の下に見えなくなった。
 どうして絵なんて描かなくちゃいけないんだろうか。
 ぼくは今日何度も心の中でつぶやいた言葉を、もう一度くり返した。
 描けなくたって不便しないし、別にぼくは漫画家とか画家になろうなんて、これっぽちも考えたことなんてない。
 なのに、どうして毎年、毎年写生大会なんてものがあるのだろうか?
 写生大会は小学校の三年生から六年生までが、バスでちょっと遠い大きな公園に出かけて、絵を描くっていうものだ。遠足気分で、楽しみにしている友達も多いのだけれど、ぼくはそんな気にはなれなかった。
 ぼくは絵がヘタだ。
 それはもう認めるしかない事実だと、ぼくは思っている。友達にもそう言われるし、母さんや父さんだって「きっと遺伝ね」と言って笑ってた。
 だから、絵を描くなんて、ぼくには苦痛以外のなにものでもない。昨年だって、一生懸命描いたのに、「こんなふうに花が見えたの?」と先生に質問されて、描き直しを宣告されたのだ。
 こんなふうに見えたんじゃなくて、こんなふうにしか描けなかったんだ! ぼくはそう言ってやりたかったのだけれど、先生に一人で反論するのって、ちょっと怖いからやめた。みんなで言うならいいんだけど、ぼくみたいにすっごく下手なやつってあんまりいない。下手は下手なりになんとか描けちゃうものらしい。
 もしかしたら、ぼくって変なやつなのかもしれない。

     ◇

 木々の間から、池が見える。
 陽光がきらきらと水面を照らしていて、とてもきれいだった。
 ここが私が見つけた絶好の写生ポイント。
 まず絵を描くときは、自分が描きたい場所をよく考える。それがパパから教わった絵の描き方のコツの一つ。
 絵を描くっていうのは、鉛筆で描く前から始まっているんだ。
 それがパパの口ぐせだ。
 だから、私は他のみんなが描き始めても、全然あせらないで自分の描きたい場所を探し、大きな公園の中を歩いた。
 そして、ようやく見つけた場所がここだ。
 自分で言うのも自慢みたいで嫌だけれど、他の人にくらべて、私は絵が上手い。それは、パパが小さい頃から絵の描き方を教えてくれたからだけど、私自身、絵を描くことが好きだからっていうのも、大きいと思う。
 大人になったら、絵を描く仕事につきたいな、なんて漠然と考えてもいる。
 昨年の五年生のとき描いた写生大会の絵は、全国で金賞をもらった。パパもママも喜んでくれたけど、私は少し不満だった。描いているときは、もっと描けると思っていたのに、実際に出来上がった絵は、想像していたのと違っていた。
 今年はもっとうまく、パパを驚かせるぐらいのを描きたかった。
 今日は気分が乗っているし、最高の場所も見つけた。いいのが描けそうな予感がする。
 私はワクワクした気分を感じながら、鉛筆を画用紙にすべらせた。

     ◆

 さっきから線を描いては消している。
 消しゴムのカスはたまる一方。白かった画用紙は全体的にくすんだ色になっている。
 今年もダメって言われるのかな?
 そんなことを考えていたら、だんだんゆううつな気分になってきた。
 ああ、もうヤメヤメ!
 心の中で叫んで立ち上がる。ぼくは画板を芝生の上に置くと、そのまま公園を見て回ることにした。気分転換だ。
 公園を歩いていると、当たり前だけど、あっちこっちで絵を描いている小学生がいた。
 真剣な顔で画用紙に向かっていたり、友達としゃべりながら描いているヤツ、ぼくが近くを通ると、とたんに絵を隠そうとする下級生もいた。
 もちろん、絵を描かないで、ぶらぶらしているところを先生に見つかったらまずいので、周りを気にしながらだったけど、画用紙に向かわないでいい、というだけでぼくの気分はずいぶんと楽になっていた。
 そんなときだ。ひっそりとした林の中で絵を描いている女子を見つけた。影になっていて見にくいけれど、たぶん同じクラスの須原佳子じゃないかと思う。眼鏡をかけていて、髪の毛を後ろで一本に結んでいるから、たぶんそうだ。
 あいつはいいよな。昨年だって、県で金賞もらうぐらい絵が上手いんだし。絵を描くのがさぞかし楽しいだろう。
 そうしてぼくが、少しの間立ち止まっていたら、急に須原が立ち上がって、こちらにやってきた。
「ねえ、」
 いつも大人しい感じの須原が、眼鏡の奥で、ものすごく恐い目をしていた。
「な、なに?」
「邪魔なんだけど」
 ぼくの体は凍りついた。

     ◇

 私の思った通り、この場所は最高だった。
 画板に画用紙をセットして、描き始めたら、まったく止まらないぐらい鉛筆のすべりがいい。
 どんどん描きこんでいく風景に、私は自分がのめりこんでいくのがわかった。こんな気分ずいぶん久しぶりだ。
 今日はすごいのが描けそう。そう思って、ふと顔を上げたときだった。
 私が描いている風景のちょうど真ん中に、男子がいた。
 逆光になっていて見えづらかったけれど、あれはたぶん同じクラスの飯田宗一だ。
 どうしてあんなところに突っ立っているのだろう? 早くどいてくれないだろうか。
 描きたいのを我慢するのって、すごいストレスなのだ。とたんにイライラとして飯田くんを睨みつける。どうせこっちから見たって、遠くてよくわからないだろうけど、そうすることで少しでも早くどいてくれないか、と思った。
 でも、飯田くんは何を思ったのか、こちらをくるりと振り向いた。林の中に人がいることにびっくりしたのか、まじまじとこちらを見ている。
 私はもう我慢できなかった。いつもの私だったら、例えばこれが授業中で、黒板が見えなかったりしても、怒ったりしない。
 絵を描いている時だから、だ。
 画板を画用紙が汚れないように気をつけながら地面に置き、私は立ち上がって、飯田くん目指して歩き出した。

     ◆

 まさか須原の口から、あんな言葉が飛び出てくるとは思わなかった。
 別に女子だからってわけじゃない。女子のほうが口が悪いし、井口とか鈴本が言ったんだったら、ぼくは全然おどろかない。おどろかないどころか、すぐさま言い返していただろう。
 でも今、目の前にいるのは須原だ。教室でも大人しいし、休み時間も自分の席で過ごすようなタイプだ。
 その須原が、「邪魔なんだけど」って言った。
 これって、異常事態のような気がする。ぼくが相当怒らせるようなことをしたってことだ。
「ご、ごめん」
 ぼくは何が悪いのかもわからないまま、とりあえずあやまった。
「なにがよ」
 須原はぐっとにらみつけて、聞いてくる。
 なにが? とか聞かれてもわかるわけがない。
 ぼくがだまっていると、
「なにが悪いのかもわからないまま、あやまったわけ。もう!」
 須原はいらついたように、腕をブンと振ったかと思ったら、ぼくの腕をつかんだ。
「なんだよ」
 さすがにぼくも、これには抵抗しないわけにはいかない。でも、振払う前に引っ張られた。
「ちょっと、こっち来て」
 連れられるまま、林の中に入る。
 一歩歩くごとにザクって音がする。蚊もよってきて、ぼくはつかまれていない手で、自分の顔の辺りをはらった。
「ちょっとしゃがんで」
 立ち止まった須原に、肩を押されてぼくはしゃがむ。
「まっすぐ見てよ。わかるでしょ。さっき飯田くんがいた場所は、わたしが描いていた場所のど真ん中なの」
「うん……」
 他に言い様がなくて、ぼくはうなずいた。
 ようするに、ぼくは須原の絵の邪魔をしていたわけだ。それにしたって、それだけで、あんな言われ方しなきゃいけないわけ?
 ぼくはだんだん腹が立ってきて、じろりと須原を見た。
 須原は言い切ったことですっきりしたのか、いつもの大人しそうな顔に戻っている。
「お前の絵の邪魔したってのはわかったよ。でも、そう言うからには、それだけの絵を描いているってことだよな」
 ぼくは自分でも逆恨みだな、と思いながら言った。
「そ、それは……」
 さっきの勢いがなくなった須原は、画板を後ろに回して口ごもった。
「いいから、見せろよ」
 ぼくは須原から、画板ごと画用紙をうばい取る。裏返して、絵を見た。??と、一瞬声が出なかった。
 そこには丁寧に鉛筆で描かれた、木や土や池、それに光が描かれていた。細くてやわらかい線と太くて強い線を上手く使い分けて、鉛筆だけの下絵なのに、ぼくは圧倒されてしまった。
 冗談じゃない。こんな絵を同い年のヤツが描くなんて、反則じゃないか。昨年須原が描いた絵だって飾られていたのを見たけど、それよりもっと上手くなってる。
「…………」
 ぼくはだまって、画板を須原に突き返した。
「どうやったら、こんなに上手く描けるんだよ」
 気づいたら、ぼくはそんなことを聞いていた。

     ◇

 小さい頃からそうだった。絵のこととなると、後のことなんて考えないで、突っ走っちゃうくせがある。
 だからって、どうしてこういう状況になるんだろう?
 今日は、写生大会の日から二日後の土曜日。なぜか飯田くんが私の家にいる。しかも、この間の写生大会の時の絵を持って。
 あの写生大会の時、私は強引に飯田くんに、絵を教える約束をさせられてしまった。
 断わろうと思ったんだけれど、それを口に出すタイミングを逃したまま、結局約束の日の土曜日をむかえてしまった。
 写生大会の絵は、その日一日ではとても描きあがらないので、残りは家に持ち帰ったり、学校の授業中に描いたりすることになる。
 私は家に持ち帰って描くのが好きだ。授業中だと、なんだか落ち着かない。
 でもこのさい、そんなことはどうでもいい。問題は飯田くんが家にいるってことだ。飯田くんの言い分だと、教室とかで一緒にいるところを見られるのは、嫌だからってことらしい。そんなの私だって同じだ。
 でも、家に来て教えるっていうのは……。
 ああ、困った。

     ◆

 勢いとはいえ、とんでもないことを言ってしまったと、ぼくは少しばかり後悔していた。
 須原に絵を教わるっていうこと自体は、まあそんなに悪いアイデアじゃないと思う。ヘタクソな自分が少しでもマシな絵が描けるようになったら、嬉しいし。
 ただ、場所っていうのは問題だ。教室で二人でいるところなんて見られたら、どんなウワサが流れるかわかったもんじゃない。ぼくの家に来てもらって、万が一、友達がやって来たりしたらまずいので、それもできない。残るは須原の家っていうことになる。
 女子の家に行くのなんて、幼稚園のとき以来だ。正直あまり行きたくはないんだけれど、これも絵がうまくなるためだ。しかたがない。
 前もって調べておいた住所を頼りに、自転車で須原の家に行くと、須原はあきらかなに浮かない顔で、ぼくを出むかえた。
 やっぱり、ぼくみたいなヘタクソに付き合うのは嫌なんだろう。でも、それを見ないフリをして、ぼくは須原の家に上がった。
 まず、びっくりしたのは、玄関にかざられていたでっかい絵だ。草原が描かれていて、草が風でなびいている中に、馬が一頭真ん中に立ち止まっていた。こういってはなんだけれど、須原の絵より段違いにうまい。
「この絵って?」
「パパの絵よ」
 須原に聞いたら、うれしそうな顔で答えが返ってきた。
 どうやら須原の絵がうまいのは、父親ゆずりのようだ。
 須原に案内されて入った部屋は、物がいろいろと置かれている場所だった。てっきり須原の部屋に案内されるものだと思っていたぼくは、須原の顔を見た。
「パパが絵を描くのに使ってる部屋なの」
 言い訳っぽく、須原が言った。
「へえ?、やっぱり本格的なんだなぁ。でも、勝手に使っていいのか?」
「パパには言ってあるから、大丈夫。それより、早く始めましょう」
 須原は、イスと画板を部屋の端から持ってきて、ぼくの前に置いた。
 ぼくはさっそく持ってきた絵を画板に広げる。
「えっ……」
 のぞきこんできた須原が、ぼくの絵を見て、声をもらした。
 どうせ、声も出ないほどヘタクソだよ!
「じゃあ、教えてくれよ」
 ぼくの言葉に、須原はすごく困った顔であいまいに笑った。

     ◇

 教えてほしいっていうぐらいだから、下手なんだろうな、とは思ってたけれど、飯田くんの絵がこんなに下手だとは思わなかった。
 ちょっとびっくりしてしまうぐらい下手だ。
 本当に飯田くんに教えることが、自分にできるだろうか? ちょっと自信がない。
 困りながらも、しかたがないので、花の描き方なんかを少しずつ直してみる。直すといっても、私は口で言うか、いらない紙にお手本を描いて見せるだけ。決して、飯田くんの絵には触れないようにした。
 飯田くんが最初にそう言ったのだ。
『お前に代わりに描いてくれって、つもりじゃないんだ。ただ、少しでもマシな絵が描けるようになればって思ってさ』
 そういう気持ちは私もわかるから、断われなかった。私が飯田くんが描いたみたいに見せて描くことはできないこともないかもしれない。でも、それじゃあ、意味がないのだ。そんなのその場しのぎでしかない。
 私はちょっとだけ、飯田くんを見直した。
 そんなわけで、ああだこうだ、とやっていたら、ガラガラと戸が突然開いた。
 びっくりしてふり返ると、そこにはパパがいた。

     ◆

 心臓が止まるかと思った。
 戸が開いたかと思ったら、背の高いおじさんが部屋に入ってきたのだ。たぶん、須原のお父さんだろう。別に悪いことなんか何一つやっていないのだけれど、大人が入ってくるというだけで、なんとなく気まずい。
 それでも、須原のお父さんは、
「どう? 進んでる」
 と言いながら、こちらにやってきた。
「うん、まあね」
 須原が答えると、須原のお父さんはぼくの絵を体を折り曲げて、のぞきこんできた。
 この人が玄関の絵を描いた人か、と思うと、ちょっと緊張してしまう。
 じっと絵を見つめる須原のお父さんが、不意ににこっと笑った。
「キミ、絵ヘタクソだなぁ」
 あっけらかんと須原のお父さんに言われて、ぼくは動きを止めた。
 アドバイスとかくれると思っていたのに、まさかヘタクソなんて言われるとは思わなかった。
「パパ!」
 須原があわてたように言ったけれど、須原のお父さんは気にする様子もなく、
「絵がヘタっていうのは悪いことばかりじゃないんだよ。少なくとも、これからどんな絵だって描けるようになる可能性があるってことだから」
 と、わけのわからないことを言うと、うれしそうな顔で部屋を出て行った。
 残されたぼくと須原は、笑うことも怒ることもできなくて、変な表情で、顔を見合わせた。

     ◇

「そこはね、こう描いたほうがいいかも」
 私は言いながら、スケッチブックに木の枝を描いて、飯田君に見せた。
「ふ?ん、なるほど。少し線を曲げたほうがいいんだな」
「そうそう。そんな感じ」
 飯田君が筆で描いた枝を見て、私は大きくうなずく。
 写生大会の絵も、もうすぐ完成に近づいていた。最初はどうなるかと思ったけれど、教えてみると飯田君は、結構飲みこみがよかった。きっと今まできちんと絵を教えてくれる人が周りにいなかったに違いない。
 もちろん、私の絵ももうすぐ完成だ。今年は昨年のより、納得がいく絵に近くなっていた。
 不思議だけれど、飯田君と一緒にパパの部屋を使うようになって、いつもより何だか楽しく描けている気がする。
 やっぱり、飯田君のおかげなのかな……。
 ふと、そんなことを思った。
「なんだよ、須原。どうかしたか?」
 飯田君が怪訝そうに、こちらを見たので、私はあわてて首を横に振って、
「ううん、なんでもない!」
 と言って、自分の絵に視線を戻した。

     ◆

 まさか自分にこんな絵が描けるなんて思っていなかった。
 芝生の緑、空の青、木の茶色。一言にそういっても、須原に教えてもらうと、それがただの緑じゃなくて、黄色とか青とか茶色とか色々な色が混ざっていることがわかった。緑の上に色を重ねたり、絵の具を混ぜて自分の納得する色を作ったり。
 絵を描くことの楽しさが、少しだけわかった気がした。
 この絵も、あとは木の枝を慎重に塗って、全体を少しずつ直せば完成だ。
 ぼくが初めてまともに描いた絵が完成する。そう思うと、ちょっと誇らしい気持ちになった。
 今まで、こんなに画用紙一枚と向き合ったことはなかったし、向き合おうと思ったこともなかった。絵を描くのは、面白いことだけじゃないし、面倒くさいことも多いし、正直、何度も嫌になったけれど、それでも最後まで描こうと思えたのは、須原がいてくれたからだと思う。
 隣で真剣な顔で絵と向き合っている須原を見ていると、自分もやらなくちゃという気にさせられた。
 ぼくは隣の須原に、そっと視線を向けた。
 須原の絵も完成が近いらしく、外からみても集中しているのがよくわかった。
 がんばれよ、須原。
 ぼくは心の中で応援してから、自分の絵の最後の仕上げに取りかかった。

     ◇

 とうとう絵が完成した。
 飯田君の絵と私の絵が完成したのは、ほぼ同時だった。
「すごい、すごい。この木の模様とか、うまく描けてる」
 私は出来上がった飯田君の絵を見て、うれしい気持ちがおさえられなくて、興奮していた。
 変だと思うけれど、自分の絵の出来より、飯田君の絵の出来のほうを喜んでいる自分がいた。
「教えてもらった人間がいうのもなんだけどさ、須原こそ、昨年のより断然いいと思うよ」
 飯田君は私の絵を見て、照れくさそうにしながらそう言ってくれた。
「ありがと」
 私はにっこり笑って、手を差し出した。
 飯田君はその手の意味が一瞬わからなかったようで、ポカンとしていたけど、すぐにわかったらしく、そっぽを向きながら、私の手を恐る恐るにぎってくれた。
「おつかれさま」
 私はぎゅっと手を強くにぎると、驚いたように飯田君はこっちを向いた。
「おつかれ」
 小さかったけど、飯田君の声はしっかりと私には聞こえた。

     ◆

 完成した絵を持って、須原の家を出ようとしたら、どこからかもどってきた須原のお父さんとばったり出くわした。
「あぁ、君は桂子の友達の……。絵はできたの?」
「えっ、はい。なんとか」
 ぼくがしどろもどろに答えると、須原のお父さんは急に楽しそうな顔になった。
「見せてよ、完成した絵」
「でも……」
 ぼくは自分の持っていた絵を、手元に引き寄せた。
 前にヘタクソと言われたのが、まだ頭に残っていた。あの時よりは少しはマシになったのは間違いないけれど、須原のお父さんから見たら、たいして変わらないかもしれない。
 またヘタクソって言われたら……。
「見せてあげなよ」
 突然声がしたかと思ったら、いつの間にか後ろに、須原が立っていた。
「大丈夫」
 須原はそう言うと、小さくうなずいた。
 ぼくは決心して、封筒に入れていた絵を丁寧に取り出して、須原のお父さんに渡した。
 須原のお父さんは、黙ってしばらく絵を見ていた。十分くらいに感じたけれど、たぶん、一分もなかったんだと思う。須原のお父さんが不意に顔を上げた。
「これは前言撤回しないといけないな。とてもいい絵だよ。ヘタクソなんかじゃない」
「ほんとですか?」
「ぼくは絵についてはウソをつけないんだ」
 須原のお父さんはそう言うと、須原と同じ笑みをうかべた。
 ぼくは須原を振り返った。須原も笑顔だった。
 やったじゃん。
 須原にそう言われている気がして、ぼくは大きくうなずいてみせた。

     ◇

 今日は月曜日。
 私は封筒に入れた小さめの画用紙を持って、教室に入った。
 見回して、飯田くんを見つけると、まっすぐそっちに向かう。
「ねえ、飯田くん。ちょっといい?」
 飯田くんは私を見て、すごく困った顔をしながら、でもうなずいた。
 周りにいた飯田くんの友達が、何か言っていた。でも、そんなの気にならない。
「なんだよ。教室で話しかけるなって……」
「これ、渡したくて」
 私は封筒を飯田くんに渡す。
「なに、これ?」
「パパから、この間のおわびをかねて、飯田くんにプレゼントだって」
「須原のお父さんから?」
 飯田くんは首をかしげながら、封筒を受け取って、中から画用紙を取り出した。
 そこには、私と飯田くんが描かれていた。飯田くんが一生懸命絵を描いていて、私がその横でアドバイスをしている後ろ姿。
「すげぇ、うまい。なに、これ本当にもらっていいの?」
「うん。飯田くんの絵を見たら、急に絵を描きたくなったんだって」
「えっ、なんで?」
「それは私にもわからないけど……でも、いい絵だと思わない?」
 私がきくと、飯田くんは周りを見回して、人が見ていないことを確認してから、
「ああ」
 と、笑顔でうなずいた。


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